
5月14日、福井県護国神社を参拝し、新設された「急流中底之柱」を見学しました。
「急流中底之柱 即是大丈夫之心」(きゅうりゅう ちゅうていのはしら すなわちこれ ますらをのこころ)、橋本左内が常用の本箱のふたに記した言葉です。「急流の中にある柱のように、いかなるときも、動じず流されずに雄雄しく立っている姿こそが、大丈夫(ますらを)の心である」この言葉を胸に、常に何事にもブレない心で万事に当たられたようです。
丁度1ケ月前の4月14日に、坂井市丸岡町竹田地区の遺族会から寄贈された杉の大木が、橋本佐内先生の命日の10月7日に因んで10.7mの長さに整えられて、境内の中央部に建立されました。当日は木遣り唄やお木曳き、立柱の儀、敷石行事、石碑除幕などのセレモニーを多くの氏子の皆様のご参列の下に盛大に執り行われました。
私も、4月24日の東京都荒川区南千住の套堂を視察し、回向院の墓参、翌25日には地元福井市の佐内公園の墓参、そして5月14日御祭神として祀られている護国神社の急流中底之柱の参拝をして、一連の橋本佐内先生所縁の場所めぐりを果たしました。今、県難にある福井県の進む道を模索している自分の心のどこかに、橋本先生のブレない生き方を追い求める気持ちが働いたのかも知れません。
どっしりと、そして真直ぐに天に向かって毅然として聳え立つ白い柱を見詰めていると、福井県民のこれまでの姿勢や今後の生き方を象徴しているかのように思えて来て、すっきりとした気分になれそうです。
あらためて「啓発録」の五項目を記して、己の戒めとしたいと思います。
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一、稚心を去る(去稚心)
子どもじみた甘えを脱却せよ。
遊びにばかり熱中し、甘いものをむさぼり食い、毎日怠けて安楽に流れる。それも幼い子供のうちは強いて責めるほどのこともないが、学を志す十三、四にも
なって、そんな気持ちが微塵でも残っていたなら、何をしても決して上達することはない。まして天下一流の大人物になることなど程遠い。
一、気を振う(振気)
恥辱を知って、人に負けまいと強く決意せよ。
気とは、負けじ魂と、恥を知り、それをくやしく思う気象のことである。常にそうした心を持ち、その精神を奮い立たせ、緊張をゆるめず油断のないように努力しなければならない。
一、志を立つ(立志)
自分の目標を揺ぎなく定め、ひたすら精進せよ。
志とは自分の心が向う目標である。一度決心したからには、真直ぐにその方向を目指し、迷わず進まなければならない。聖賢豪傑になろうと決意したら、聖賢豪傑らしからぬところを日一日取り去っていけば、どんなに才能が足らず、学識の乏しい者でも、最後には聖賢豪傑の地位に到達できるはずである。 また、志を立てる近道は、聖賢の考え方や歴史の書物を読んで、その中から深く心に響いた部分を抜書きし、壁に貼り付けたり、常用の扇にしたためておくなど、常に目に触れるところにおき、自分を省みることである。
一、学に勉む(勉学)
優れた人物の立派な行いを見習い、実行せよ。
学とは、本を読んで知識を吸収することだと思われがちだが、それは間違いだ。学問とは、優れた先人の立派な行いに習い、自分も負けるものかと努力することであり、忠義の精神を養うことである。どのような立場になろうとも、私心を捨て、公のために貢献しなければならない。
次に勉とは、自己の力を出し尽くし、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味である。何事によらず、強い意志を継続し、努力を続けなければ、事は成らない。
一、交友を択ぶ(択交友)
自分の向上につながる友を択(えら)べ。
自分と交際してくれる友人は、皆大切にしなければならない。しかし、飲み食いや歓楽を共にするために付き合い、馴れ合うことはよいことではない。学問の
講究、武芸の練習、志や精神の研究などの上で交わりを深めるべきである。堕落につながる交際を求める友人がいたら、正しい方向へ導くべきである。
また、自分の過ちを遠慮なく指摘してくれる友は、時に厄介(やっかい)なものではあるが、とても大切だ。
厳格で意志が強く正しい。温和で人情厚く誠実である。勇気があって果断である。才知が冴え渡っている。小事にとらわれず度量が広い。この五点を目安に友人を見定めればよい。小人は、他人にへつらい媚び、小利口で落ち着きがなく、軽々しくいい加減なものであるが、すぐに心安くなれるので、世間では人柄がほめられたりするものである。しかし、聖賢を目指そうと志す者は、彼らとは違った厳しい目を持たねばならない。
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私たち県議会議員も、この言葉に謙虚に耳を傾け、私心を捨て、県だけでなく国のためにも、強い意志を持って課題に立ち向かわなければならないと思います。