プロフィール

おいたち

子供の頃は、山や川を駆け巡る腕白少年で、沢山の友達と真っ黒になって遊んでいました。3~4才の時、二人の妹を続けて亡くしました。その時の記憶は鮮明で、後の死生観の基礎となっていると思います。5才の時に交通事故に遭い、意識不明の重体となりましたが運良く九死に一生を得ました。5才と7才の時、弟2人を授かりました。小学生時代は絵が好きで漫画家に憧れていました。自作の漫画本をクラスメイトが回し読みして楽しんでいました。また、この頃イギリスで制作された「サンダーバード国際救助隊」に憧れ、いつか人類のために実現させたいという夢を抱きました。小学校の卒業文集には「僕の一生世界のために」と書かれてあります。

小5の時、書物で「人民の人民による人民のための政治」を訴えたリンカーンの「ゲティスバーグの演説」と出会い、民主主義とリーダーシップの素晴らしさに目覚め、集団を率いることに関心を持ち、幾度かクラス委員長などのリーダーを経験しました。そのリンカーンと同じ2月12日が誕生日であることを誇りに思いました。

中学時代は社会性への目覚め。元気がありすぎて、よく先生に叱られましたが、剣道部主将として顧問の先生が不在である中、廃部の危機を乗り越えて部員を指導して、個人・団体とも郡大会を勝ち抜いて県大会まで進みました。また、2年時にはクラス委員長として「学級憲法」を制定して法治社会を学びました。同じく2年で生徒会長を経験したことにより、大きな組織を率いる醍醐味を知るとともに自分のリーダーシップに自信が付きました。

高校時代は、逆に個人としての深まりの時代。文学と哲学にのめり込み読書三昧、思索三昧、創作三昧の日々を送りました。西田哲学、特に三木清に傾倒しました。この時に思想信条の基盤ができたと思います。県の創作コンクールで2年連続詩の部1位を獲得して文芸の道を志すようになりました。一方、その詩に曲 を付けて20曲ほどの自作曲を作り、みんなの前でギターを弾きながら歌ったりもしていました。しかし、考え方が硬派で、高校卒業までは女の子と一切交際しませんでした。

大学時代は、人間としての幅を広げた時代。志望していた早稲田の文学部には行けず、その時は商学系へと親と約束した関係で明治の商学部に進学しました。19才の時、東京から福井まで一人で自転車で帰えるなどの武者修行に挑戦。その後、プロの劇団研究生となって大河ドラマや映画に端役で出演したり、映画監督や脚本家など文化の世界で生きる道を模索していました。大学では、同好会(80名)に所属して、テニスにも打ち込み、卒業の年にシングルスで念願の優勝ができました。その他、青山・赤坂・世田谷などで各種アルバイト、ラジオ番組のパーソナリティ、バンドを編成して吉祥寺ライブハウスでのコンサートなど幅広い経験を積みながら、大いに青春を謳歌しました。

21才の時、突然父が倒れ、医者から「父親の余命は後わずかしかない」と言われ、2人の弟たちは未だ幼く、自分が支えなくてはと映画監督になる夢を諦めて帰郷。 辛い気持ちで父の会社を継ぎました。学生時代から付き合っていた今の妻と25才で結婚し、翌年長男を授かり、父に初孫の顔を見せることができ、2年後にも次男を授かり、父に最後の親孝行ができました。それもあってか、父もその後10年頑張ってくれました。

帰郷と同時に青年会議所に入会し、福井県内、日本全国、世界中に多くの知己を得ました。特に福井ブロック会長に就任したことが、等身大で県を体感できる貴重な経験だったと感じています。31才で社長に就任し、産官学で廃ガラス瓶リサイクルブロック「Gシリーズ」を開発し特許取得。NHK全国ニュースで紹介されたり、幕張メッセや東京ビッグサイトで発表して、全国に多くのフランチャイジーを持ち、コンクリート業界に材料革命、フランチャイズ革命をもたらしました。しかし、産官学民がそれぞれの役割を全うするべき循環型社会構築において、官が特に遅れていることに強い問題意識を持つようになりました。この間、世界35カ国以上を訪問し、地元ではテニス協会の設立や福井新聞にエッセイの連載、河川環境保護活動なども展開しました。

40代、阪神淡路大震災、日本海重油流失事故では、一番に現場に駆け付けてボランティアを体験。PTA活動や自然環境福祉のNPO法人設立、全国初のチャイルドシート・リサイクル事業、交通遺児チャリティー、労災遺児チャリティー、福井でのラグビー早明戦、オール明治vs同志社戦などの事業創生、実施のために奔走しました。

45才の時、地元の坂井郡6町が2町と4町という歪な合併を進めており、そこに住民の民意が無いことに公憤を抱き、JA、JC、土地改良区、森林組合、 ロータリー、ライオンズなどの団体を集めて坂井郡合併推進郡民会議を組織し、議長に就任。広く署名運動を展開して各町議会で反対演説をするとともに、国や県に対しても調整を求めましたが、力及ばずに民意不在の合併が成立。

46才の時、民意不在の合併を二度と繰り返さないためと、遅々として進まない環境行政を前進させるために、そして幼い頃からの夢「国際救助隊の実現」を実現させるために、地域と仲間から押されて福井県議会議員に立候補し、初当選。平成25年9月に第95代福井県議会議長に就任。現在4期目。

生年月日

1956年2月12日

出身地

福井県坂井郡金津町新富生まれ(現在のあわら市春宮1)

出身校

福井県立 三国高校 普通科/明治大学 商学部 卒業

主な政治的役職

福井県議会 議 長(第95代)
福井県議会 総務教育常任委員会 委員長
福井県議会 土木警察常任委員会 委員長
福井県議会 中小企業振興条例検討会議 会長
福井県議会 行財政構造改革特別委員会 委員長
福井県議会 経済雇用対策特別委員会 副委員長
福井県議会 議会運営委員会 委員
福井県議会 議会改革検討会議 委員
福井県議会 予算特別委員会 理事
福井県議会 議会基本条例 作業部会 座長(議長)
福井県議会 広報会議 会長

自由民主党福井県連合会 幹事長代理
自由民主党福井県連合会 政調副会長
自由民主党福井県連合会 総務副会長
自由民主党あわら支部 支部長

自民党 県政会 幹事長
自民党 県政会 政調会長
自民党 県政会 副幹事長
自民党 新政会 政調会長

現在の主な公職

あわら市バレーボール協会 会長
福井県バレーボール協会 副会長
少林寺拳法福井県支部 顧問
あわら市商工会青年部 特別顧問
明治大学校友会福井県支部 顧問
三国高校同窓会 顧問
国道8号線福井バイパス建設促進期成同盟会 顧問
都市計画道路南中央線整備促進期成同盟会 顧問
県道水口牛ノ谷線道路改良事業促進期成同盟会 顧問
県道芦原停車場中川線整備促進期成同盟会 顧問

過去の主な活動歴

金津町都市計画審議員
金津町社会教育委員
金津21づくり懇話会 座長
金津創作の森 評議員 企画委員
金津町PTA連合会 会長
坂井郡PTA連合会 副会長
福井県安全運転管理者協議会連合会 副会長
あわら安全運転管理者協議会 会長
社団法人三国芦原金津青年会議所 理事長
日本青年会議所 福井ブロック協議会 会長
日本青年会議所 北陸信越地区協議会 副会長
日本青年会議所 建設部会 副部会長
日本青年会議所 福井ブロック建設クラブ 会長
国際青年会議所・国際アカデミー特別委員会 副委員長
社団法人坂井郡法人会 青年部会長
社団法人福井県法人会連合会 青年部副会長
NPO法人グリーンウェル 理事長
NPO法人 ドラゴンリバー交流会 常任理事
ダンボートレース創始に中心的参画
ラグビー「明治大学vs早稲田大学」福井大会に中心的参画
ラグビー「オール明治vsオール同志社」福井大会に中心的参画
全国初チャイルドシート・リサイクル事業を創始
金津中学校・ユージン市交流事業の創始
高齢者交通安全「寸劇アカデミー賞」創始
交通遺児チャリティー募金運動を創始
労災遺児チャリティー募金運動を創始
金津高校カヌー部創部に中心的参画
あわら湯煙創生塾の前身「RATY」創設
あわら寺子屋を創始